オタク文化について考える

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オタク文化について考えようと思い立ちました。

オタクについて語っているサイトは多くあります。

まじめに文化論の一つとして論文も書かれているはずであります。

それでも語ることはあるのか?という自問自答はありましたが、”それでも、考えてみたい”との思いから、書いていこうと思います。

ここでは、オタクの各論に入らずに総論としてオタクについて考えてみようと思います。

過去においては、コミュニケーションが苦手で、家の中で一人で、何かに熱中している人たちのことを総称し、かなりネガテイブなイメージが有りました。

ネット通販でグッズが容易に手に入る現在とは違い直接販売店に出向き買い求めるときは、周りに気づかれないようにしたと聞いています。

オタクというレッテルを貼られたくないという思いが有ったものと思います。

現在にいたってはオタクにはネガテイブのイメージは薄れ、ほぼマニアと同義になりつつあります。

自分なりに思いますが、オタクとは、”何かに深く熱中し情熱を捧げている人”のことを言うのではと思います。

普通に考えてまったく趣味が無い人は少なく皆何かしらの趣味は持っていると思います。

その趣味にどれだけ深く傾倒しているのかの度合いが平均よりはるかに多い方に対して、つけられる称号みたいなものかと思うのです。

過去に人から見られないように隠れていた時代から、現在は称号として誰にはばかることもなく”オタク”と言える時代になったのはないでしょうか。

人それぞれの容姿や性格も違うように、当然のように趣向も違いますし、自分の価値観と違うところが有ったとしても、多様性の一つとして、認知がされるようになったと思うのです。

人それぞれ好みは違ってもいいじゃないかということと、人に迷惑かけなければ、していることには、口をはさむ必要はないということなのですが、過去においては、自分の価値観の押し付けがあったのではと思います。

当時の大多数の人の行動様式と違うことをしている人がたたかれるということです。

そんなネガテイブな時代ではない現代においては、”マツコの知らない世界”とか、”開運!なんでも鑑定団”とかで、自分が深く熱中していることがテレビ放送される時代になっています。

自分も大好きな番組です。

そういう何かに熱中する人は賞賛に値します。

現在は、無趣味な人はほぼいなく、何かしらの趣味を持ち、中には、深く傾倒するものを持っている人が周りに結構居るという現状をもって、現代文化を形成していると思うのです。

それを”オタク文化”と言っても良いと思うのです。

そして”オタク文化礼賛”です。

隠れてこそこそする時代では無いのです。

たとえ自分として、理解できなくても、何かに熱中する行為自体をお互いに礼賛する時代なのです。

こんな風に思ったのですが、いかがでしょうか?

さて、自分自身のことですが、自分なりに称号をつけるとするとまずは、”オカルトオタク”であると言えます。

世の中の不思議を追求して、自分なりの結論を見つけたいです。

もうひとつは、絵画に関してなのですが、良い名称が出てこないのですが、絵を描いていますし、見るのも好きですが、ジャンル的には”ナイーブアート”が好きです。

独学画家としてのブログも書いています。

ナイーブアートが好きですし、自分の描く絵の画風もそんな雰囲気のものをめざしています。

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